ありえへん世界【昭和の常識・令和の非常識】紹介!聖徳太子など

昭和の常識・令和の非常識
2023年12月26日放送のありえへん∞世界は意表を突く大調査!昭和の常識・令和の非常識で聖徳太子などについて紹介されました!
教えてくれたのはのさんです。

目次

昭和の常識・令和の非常識

昭和の常識・令和の非常識「映画」

・今では全席指定が当たり前ですが、
✅昭和の映画館:入場料だけを払うシステムが一般的でした。
座席が自由席なので「早い者勝ち」でした。
人気映画ともなると大行列=「出入口」や「通路」で立ち見も当たり前でした。
✅昭和の映画館:上映ごとにお客を入れ替えなかった。
1回入場すれば何回も観られた。
終電逃しても眠れる😅
✅昭和の映画館:2本同時上映が当たり前でした。
様々なジャンルの組み合わせて上映するのが一般的でした。

1983年に航海された角川映画の代表作

・主演薬師丸ひろ子「探偵物語」
・主演原田智子「時をかける少女」
当時人気絶頂だった「薬師ひろ子」観に行ったのですが…
「同時上映」だった「時をかける少女」に衝撃!を受けて
「原田知世」が大ブレイク

さらに国民的人気となった二本立ても!

・主演渥美清「男はつらいよ」シリーズ
・同時上映作品として1988年から始まったのが主演西田敏行「釣りバカ日誌」シリーズ
✅お正月映画の定番!

2000年代「シネコン」が急速に普及

・全席指定の完全入れ替え制で回転率を重視
2本同時上映は廃れていきました。

昭和のパンフレット

・映画の設定や裏話などが載っていました。
現在はネットが普及した影響でパンフレットの売上が減少
✅昭和世代にとっては「パンフレット」=映画館に行った証でした。

ドライブシアター

ドライブシアター
・ビートルズがデビューした1962年に誕生
昭和の時代Bluetoothがあるわけはなく…
FMラジオの周波数を合わせ車内で映画の音声を聞くことが出来たのです。
蜜空間で人目を気にせず楽しめカップル(アベック😅)に人気だったのです。
テレビで放送される際は映画評論家のコメントがセットだったんです。
その代表的な映画評論家が「淀川長治」さん
1966年から32年間テレビ朝日「日曜洋画劇場」の解説者
番組最後の決め台詞が「それでは次週をお楽しみくださいサヨナラ サヨナラ サヨナラ
もう一人の解説者が「水野春郎(はるお)」さん
日本テレビ「水曜ロードショー」の解説者
その決め台詞が「いや~映画ってホントにいいもんですね」

昭和の常識・令和の非常識「歴史」

・源頼朝「鎌倉幕府」
昭和世代の記憶では…
いい国作ろう鎌倉幕府
1192年いいくに作ろう鎌倉幕府と覚えており、
他の年号は忘れてもこれだけは覚えている!

令和世代に聞いてみると

1185年いいハコ作ろう鎌倉幕府

1185年 作ろう鎌倉幕府なぜ?

「守護」と「地頭」を置いたのは1185年と習ったそうです。

鎌倉幕府が成立した年は「諸説あり」

・1192年:源頼朝が征夷大将軍になった年
これを鎌倉幕府の始まりとしていました。
・1185年:源頼朝が「守護」と「地頭」を全国に置きました。
✅1192年説と1185年説両方覚える令和世代も多いのだそうです。

聖徳太子にも異変が!

・聖徳太子:飛鳥時代の人物で「十七条の憲法」「冠位十二階」10人の話を1回で聞き分けた誰もが知っている人物

しかし令和世代聞いてみると

厩戸王うまやどのおう
厩戸皇子うまやどのおうじと聖徳太子両方教えてもらってるそうです。

一説によると・聖徳太子:死後に浸けられた称号
今の教科書では皇族の聖徳太子(厩戸皇子)や厩戸王(聖徳太子)と載っていました。
そして聖徳太子=お札になった回数歴代1位
✅百円札(昭和21年発行)・千円札(昭和25年発行)・5千円札(昭和32年発行)・日本初の1万円札(昭和33年発行)

知らないと恥ずかしい!?お札の肖像画クイズ

Q.現在の5千円札は樋口一葉ですがひとつ前の肖像画は誰?

・正解:新渡戸稲造「武士道」の著者
国際連盟の事務局次長を務めた人物

2024年新紙幣が誕生!

・新千円札:世界に認められた細菌学者:北里柴三郎
・新5千円札:津田塾大学の創立者:津田梅子

Q.新1万円札の肖像画は誰?

・正解:渋沢栄一第一国立銀行(現:みずほ銀行)を設立日本の資本主義の父
NHK大河ドラマ「青天を衝け」のモデル
1958年~聖徳太子1984年~福沢諭吉204年~渋沢栄一
✅1万円札の人物変更は40年ぶり
地元埼玉県深谷市では熱狂的な渋沢フィーバー

昭和の常識・令和の非常識「ファッション」

財布:「バリバリ財布」が大流行

正式名:「サーファーウォレット」

バリバリ財布を令和世代に見せると!

「可愛い」と好評

硬化の種類を分けられるコインケース

使いたい硬化をすぐに取り出せます。
女性からの賛同を得られず…小銭を分けて入れるのが面倒
いつしか見かけなくなりました。

ケミカルウォッシュジーンズ

✅漂白剤で色褪せさせたジーンズ
まだら模様が大人気に
80年代のバブル期に大流行

90年代ダメージジーンズ

令和世代にによると

ケミカルウォッシュジーンズ履いてる人は多いそうです。
令和世代の間でブームが再燃!

昭和の常識・令和の非常識「自動販売機」

✅昭和の自動販売機:お茶や水は売っていませんでした。
お金を出して水を買うなんて信じられない時代だったのです。
昭和の頃は水と言えば「水道水」
・外出の時は水筒に入れて持ち歩く
・公園にある水を飲む

令和世代は

自販機でペットボトルの水
✅令和では水は自販機で買うのが当たり前
それどころか「白湯」も自販機で買う時代に!

いつから自販機でお茶や水を販売するように?

ひとつのきっかけは「ピンクレディー」のある発言だったのです。
昭和54年人気絶頂だったピンクレディーが
司会者から「痩せている理由は?」と聞かれたところ
「ウーロン茶です」と答えたことから日本は空前のウーロン茶ブームに!
✅昭和56年世界初!「缶入りのウーロン茶」が発売
それから「紙パックの六甲のおいしい水」「缶入りの煎茶」も発売
水やお茶のペットボトル、1.5ℓのペットボトルも自販機で販売されていたことも
ちなみに新幹線などではポリ容器に入ったお茶を販売
みかんと言えば「冷凍みかん」
駅の売店で5個入りを購入
列車の中で溶かしながら食べるのが懐かしい光景でした。

自販機でも懐かしいことが…

それは自販機の下のお金を地べたにはいつくばって探す光景
ありえへん世界では以前100台の自販機にいくら落ちているのか?を検証したところ947円だったそうです。

小銭拾いを令和世代に伝えると

電子マネーで買う人がほとんどなので小銭を探す光景は見かけなくなりました。

昭和ではルーレットに当たるともう1本!当たり付き自販機があった

当たり付き自販機を令和世代に伝えると

現在も当たり付き自販機は存在しているそうです。
都内でも「数字が揃えばもう1本(0000~9999)」の当たり付き自販機が存在!

何回で当たりが出るのか検証!

結果:68本買っても当たりは「ゼロ」
ダイドードリンコ株式会社自販機営業企画部古門さんによると、
当たる確率は?「企業秘密」だそうです。

当たり時のご注意

「当たった時は30秒以内に販売可ランプが点いている商品をお選びください」
と書いてあるのでご注意を

昭和の常識・令和の非常識「言葉」

社会の窓
ズボンのチャックが開いていることを「社会の窓」が開いていると指摘していました。

今でも反応してしまうのか検証

昭和世代は今でも社会の窓に敏感でした。

令和世代に試してみると

言葉の意味すら分からない結果になりました。

なぜチャックが社会の窓に?

✅インフォメーションアワー・社会の窓:会社の隠された内情を暴き出すNHKのラジオ番組
・隠された内情を暴く=「社会の窓」
隠れた場所が出ているという意味

昭和世代が疲れた時に使っていた言葉

疲れ切ってすぐ寝てしまうことを「バタンキュー」

令和世代に伝えると

✅ぷよぷよ:1991年から続く大人気ゲーム
最新作でもゲームオーバーになると…令和でも「バタンキュー」
さらにアニメ「おそ松さん」の主題歌「全力バタンキュー」
バタンキューは生き残っているようです。

謝る時に使う言葉と言えば

「許してちょんまげ」
「許してちょんまげ」はその場を和ませる「ギャグ」

令和世代に伝えると

令和世代には受け入れられませんでした。
✅「許してちょんまげ」はとんねるず「木梨憲武」さんが考案しました。
テレビ番組で流行り一般的にも使われるようになりました。
ほかにも「めんご」

令和世代に伝えると

令和世代は「ミアネ(韓国語)」ごめんという時でもない時に使うそうです。
「愛の不時着」や「梨泰院クラス」の影響で韓国語で謝ることが流行

昭和の常識・令和の非常識「家具」

昭和に流行った収納家具

カラーボックス
1970年に発売「カラーボックス」
当時の家具はほとんどが「木目調」だったのでこのカラフルなカラーボックスはかなり衝撃だったそうです。
使い方は様々横にして上に「ラジカセ」を置き、ラジオから録音したカセットやレコードを並べるなどさらに「テレビ台」にも。
そして手作りのカーテンで中身を隠していた家庭も。
そんなカラーボックスは発売してすぐ1万台が完売!
生産が追い付かないほど売れたそうです。

売れた理由

ある画期的なシステムを日本で初めて取り入れたから
初めて発売した1908年創業株式会社クロシオ カラーボックスの考案者と命名会長の深谷政男さん(82歳)によると、
「組み立て式」を始めたのが初めて「日本初家庭用組み立て家具」だったのです。
今では当たり前の組み立て式家具
深谷さんが考案したのは1970年
IKEA1号店(船橋)がオープンしたのは2006年なので36年前から組み立て式家具を初めていました。
当時の家具は木目調の完成品ばかりだったのでカラーボックスが昭和の家具の歴史を変えたのです。

母親の部屋にあった「三面鏡」なぜ人気だった?

✅三面鏡:鏡の反射を利用して見えにくい部分の手入れが出来ます。
昭和の女性たちの「必需品」
子ども達には合わせ鏡で志村けんさんの「変顔」を三面鏡で真似する子どもがたくさんいました。
三面鏡が日本のある風習のおかげで爆発的に売れました。

Q.三面鏡がうれるきっかけとなった昭和の風習とは?

・正解:嫁入りする娘に持たせるため
✅平成以降:大きな鏡がついた洗面台が普及し、婚礼家具の風習も廃れていきました。

昭和の学習机ライティングデスク

1970年代後半から流行
テーブル部分を開け閉めできる机
老舗文房具メーカーコクヨ株式会社の吉田さんによると、
省スペースなので団地やマンションの集合住宅で子どもの机を置くスペースがとれない家庭では人気があったそうです。
使わない時はテーブルを折り畳み、部屋のスペースが広く使える画期的な商品でした。

クルクルメカ

レバーをクルクル回すとテーブルの高さが自由に変わる学習机
子供の成長(身長)に合わせるのが簡単です。

まとめ

参考になれば幸いです。
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最後までお読みいただきありがとうございました。