日本人のおなまえっ!【食パンの“食”って何?パン職人のこだわりネームだった!】外国人の素朴な疑問を調査

食パンの“食”って何?
日本人のおなまえっ!2020年3月5日放送は外国人の素朴な疑問を大調査というテーマで「日本のオナマエッて変デスネ」が紹介されました。
あなたはこの難問に答えられますか?「食パンの“食”って何?」「カツオの“タタキ”ってたたいてるの?」
「やまのて線?やまて線?どっち?」日本在住5年以上の外国人に気になる日本のおなまえをアンケートし素朴な疑問を一挙解決。

外国人の素朴な疑問を大調査

司会:古舘伊知郎さん・赤木野々花さん

アメリカ厚切りジェイソンさんの素朴な疑問「食パン何で“食”をつけるの?」

「食パンの“食”って何?」
食パンとは:パン生地を食パン型に入れて焼いたパンのこと
というらしいですが、何の解決にもなっていませんね(笑)
日本初のパン(1842年)
伊豆韮山代官で江川太郎左衛門が兵糧として焼いたパン(軍用乾パン)。
教えてくれたのはパンの歴史に詳しい日本パン学会 副会長 楠本利夫さんです。
楠本利夫さんによると、食パンは主食用のパンのことで「食パンの“食”」は「主食の“食”」
パンを食べる習慣がない時代の日本⇒主食=米
楠本利夫さんによると、江戸時代末期イギリスから山型(現在の食パンの形のパン)のパンが入ってきたそうです。
幕末の外国人居留地には外国人が経営する外国人向けに主食用のパンを作るパン屋があったそうです。
日本人も見よう見まねで作ったもののカッチカチで主食に出来るようなパンは出来ませんでした。
しかし、楠本利夫さんによると、日本人は創意工夫をしてあんぱんは日本人が始めて作った物で、明治8年に木村屋があんぱんを発売したそうです。
パンにあんこを入れたあんぱんが空前のヒット!こういったお菓子として食べるパンを「菓子パン」と呼ぶようになりました。
明治初期の日本人でパンといえば「菓子パン」で主食として食べるものではありませんでした。
菓子パン登場から約10年・・・日本人のある菓子パンのパン職人が主食用のパンを焼くことに成功し販売!
楠本利夫さんによると、横浜の現在の5代目のご主人のひいひいおじいさん「食パン」と名付けたのが打木彦太郎さんだそうです。

なぜ「食パン」と名付けた?そこには職人のこだわりが!
5代目店主さんによると、横浜が開港して外国人居留地ができ、「ヨコハマベーカリー」というイギリス人ロバート・クラークという人のパン屋で打木彦太郎さんは10年修行し、美味しいパン作りを習得して1888年に開業したそうです。
そして打木彦太郎さんは日本人にイギリス式の山型パンを「ゴールデン食パン」として販売しました。
当時菓子パン1つ現在の価値で約200円、一方彦太郎さんの食パンは1つ約1600円
当時は機械などなかったのでかなり苦労してパンを作ったそうです。
「手間をかけなければ主食として食べてもらえるパンは作れない」食パンにはそういったパン職人のこだわりが込められていました。
こちらのお店では現在も約130年前と同じ製法で彦太郎さんが生んだパンが作られているそうです。
現在の食パンはイギリスの人から教わったから「イングランド」の名前で販売されているそうです。
打木彦太郎さんにパン作りを伝えたクラークさんの子供さんのエドワード・クラークさんは日本にラグビーを伝えたそうです。

ロシア人の素朴な疑問「山手線の“の”はどこから来た?」

「山手線」やまのて線とやまて線どちらが正しい?
教えてくれるのは鉄道ジャーナリスト 梅原淳さんです。
梅原淳さんによると、正式には「やまのて線」だそうです。
が、年配の方は「やまて線」派だそうです。
古舘伊知郎さんも子供の頃は「やまて線」と言ってたそうです。
シニア世代は「やまて線」?
梅原淳さんによると、実際に「やまて線」と表記されていたことがあり、それで「やまて線」という言い方も残っているそうです。
「やまて線」と呼ばれていたのは昭和20年~46年の間だそうです。
梅原淳さんによると、昭和20年終戦後に進駐軍が来た時「路線の名前が分かりにくい」ということでローマ字で表記することになったそうです。
ローマ字表記したとき、誤ってしまったのか?国鉄関係者が「やまのて」を「やまて」と書き間違えたのか?いろんな説があるそうです。
とにかく「YAMATE」に書いたためそのまま「やまて線」と呼ばれていたそうです。

でも今はなぜ「やまのて線」?
梅原淳さんによると、昭和46年全国の路線にフリガナを振ることにしたに、
今までは「やまて線」だけど明治時代までさかのぼると「やまのて線」だったので、その時に名前を変えたそうです。
なので昭和46年に以前に東京在住の方は「やまて線」と読む方が多いそうです。

山手線の漢字にない“の”はどこから来た?

教えてくれたのは武庫川女子大学 名誉教授 佐竹英雄先生です。
佐竹英雄先生によると、「書いてある物を読む」のではなく、
まず「言葉が先にある」元々漢字がなかった日本では、
中国から入ってきた漢字を自分たちの言葉に当てて表記していたそうです。
「やまのて」という言葉があって「やま=山」「て=手」でですが、
別に“の”がなくても「山手」は「やまのて」でいいじゃないかとなったそうです。
結局“の”はたいした意味はないそうです(笑)
確かに漢字だけでも雰囲気が伝わります。

「の」は無くなりやすい?
例えば世界の平和の宣言⇒世界平和宣言=「の」はあってもなくても意味は一緒です。
ということで、意味が強くない物をわざわざ書かなくても「山手」で「やまのて」と読んだらよいので、「の」を書かない人がいたそうです。
佐竹英雄先生によると、「の」を書かない事実が積み重なるなら「山手」を「やまのて」と読んでも問題ないということに。
なので「なんで」といわれてもそう書いてきた「歴史」が強いのでということしかいえないそうです。

ブラジル人の素朴な疑問「カツオの“タタキ”ってたたいてるの?」

教えてくれたのは土佐料理研究家 三谷英子さんです。
カツオをあぶるのは、皮が柔らかくなり食べやすくなるそうです。
その後食べやすい大きさに切り、塩をふってから叩いていました。
カツオのタタキ:江戸時代に貴重な塩をたたいてなじませたのが由来だそうです(諸説あり)。
あぶって塩をかけるだけの「塩タタキ」が「カツオのタタキ」の原典だそうです。
現在ではポン酢をかけた後でも味をなじませるためにたたいているそうです。

中国人の素朴な疑問「バッタもんの“バッタ”は、昆虫のバッタ?」

教えてくれたのは梅花女子大学 教授 米川明彦先生です。
米川明彦先生によると、バッタは行き当たりばったりに物を盗んでくる
行き当たりばったりの「ばった」が「バッタ」になったという説があるそうです。
昭和初期の本には「どこからか物を手に入れて生活する人」を場当たり的に生活しているところから「バッタ屋」と読んだと書かれているそうです。
つまり、「バッタ」は場当たりからきていたのです。
米川明彦先生によると、使い古したような汚い服とかをかっぱらってきて安く売り、それでも買う人がいます。
バッタ屋が仕入れてきて古物商に売った品物を「バッタもん」と呼んだそうです。
つまり「バッタ」の意味は元々偽物ではなく、「出所が分からない物」のことだったのです。
バッタもんは物資がない時代にはありがたい存在であったそうです。
戦後物が無くなり、みんなが生活に困ったときにいろんな物が闇の物資として出回り、
出所が悪い言葉でもみんなが共有する言葉になり、それがずっと続き広まっていった
戦後日本人を支えた「バッタもん」今では偽物という意味で使われているようです。
しかし、「安く手に入った掘り出し物」のニュアンスも大阪ではあるようです^^
そして、「パチモン」は「うそっぱち」が語源で偽物になるそうです。

最後に

言葉ってちゃんと意味があって面白いですね。
色々調べたくなりました^^
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最後までお読みいただきありがとうございました。