【日本人のおなまえっ!】三重の衝撃的な由来紹介!あこぎな奴など

三重の衝撃的な由来
2021年10月21日放送の日本人のおなまえっ!は吉田沙保里も初耳!三重の底力まるミエSPであこぎな奴などについて紹介されました!

三重の衝撃的な由来

三重の由来

四日市市立博物館学芸員の廣瀬穀さんによると、四日市の「杖衝坂つえつきざか」を登りクタクタに疲れてしまった日本武尊やまとたけるのみことについて古事記に「あが(我が)足は、三重のまがりのごとくして(曲がり餅の様であって)、いと疲れたり(たいへん疲れてしまった)」と記されており、これが三重という理由だそうです。
・曲がり餅の様:小麦や米粉を練った紐のような油で揚げた餅のお菓子(三重の勾=三重さんじゅうにした餅)
・現在は京都の下鴨神社の神せん(神へのお供え)だそうです。

観光三重杖衝坂

二見浦の由来

皇學館大学名誉教授の岡田登さんによると、五十鈴川がちょうど二見で二つに分かれているので二見浦の二見とは二つの海二海二見になったそうです。
倭姫命やまとひめのみこと世記(鎌倉時代前期)には「二見の國」と記されており、江戸時代の学者がそれを見て二見(二つ見る)という漢字から二回見たと解釈したからとの説の「倭姫命が余りの絶景にした。」
地元の人は一度見たら二度見たいほどの絶景なのでこの説でいいのではないかと言っているとのことでした。

伊勢神宮ゆかり馬鹿曲のナゾ

大台町観光協会事務局長の筒井敏さんによると、熊野や紀州の人々が伊勢に向かうときに使った道でいくつかの曲がりの連続があり、
1回通ったら忘れないぐらい馬鹿ぐらい曲がっているという意味で名前の由来になっているそうです。
なぜこんな道を通る?:一生に一度は伊勢参りをするのが願だったから、難所を通ってでも何日かけてでも行きたいというのが昔の人々の願いだった。
険しい道ですが非常に大事な心情のこもった名前だそうです。

意外な由来がミエてきた!”あこぎ”

あこぎとは:際限なくむさぼること、また、厚かましいさま。
・どこまでも強欲無慈悲で、あくどいさま。
三重郷土会の浅生悦生さんによると、阿漕あこぎという人物が何度か密猟をして捕らえられ、す巻きの刑になったのですが…、
幽霊になってもしてはいけないこと(密猟)を夜な夜な何度も何度もしたことから”あこぎなことをする”という言葉になっていったと思われるそうです。
漁師「阿漕」の際限なくむさぼる行動が「あこぎな奴」の由来

・ではなぜ「あこぎ」は全国に伝わった?吉田沙保里さんの出身地「津市」は伊勢街道の中心地なのでこの地域の昔話などを聞いてだんだん広がっていったのではないかとのことでした。

ところが津に広まる”全く違う”あこぎ伝説とは?

・津市で有名な「阿漕平治伝説」には孝行息子が病気の母のために密猟。=愛されキャラ
・全国:漁師が私利私欲のため密猟


・ということで津市では阿漕平治と言えば親孝行の代名詞だそうです。
・時代劇では悪人のイメージなのでそのギャップに悩むそうです。
・名字研究家の盛岡浩さんによると、珍しい苗字ですが「阿漕さん」は高知県の西の方にある名字で、高知県では「アコウ」の木をアコギと呼ぶそうで悪いイメージはないそうです。

“関の山”の由来とは

・関の山とは:なし得る限度・精いっぱい。

・関の山車保存会会長の浦野明博さんによると、亀山市伊勢別街道が多くの参拝者が通る交通の要所「関宿」関神社の夏祭りに使う”関の山車やま関の山だそうです。
・なぜ山車=”限度いっぱい”?:山車の幅=関宿の東海道の道幅。
・夏祭りで山車を巡行していくと、屋根瓦にぶつかりそうな両サイドギリギリということで限度いっぱい・精いっぱいという言葉で「関の山」という言葉が出来たと言われているそうです。
・東西2㎞に狭い道が続く関宿の各町内に1台ずつあって文化年間(江戸時代後期)の最盛期には16台が狭い関宿の一本道に並んだということで身動きが取れないいっぱいいっぱいということで語源になったととのことでした。
狭い道なのでUターンできないですが山車の上を回転できるように仕掛けをしたそうです。


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まとめ

とても面白く視てました。
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最後までお読みいただきありがとうございました。